その男は深夜トラックを愛しすぎてる | 深夜0時のラッシュアワー 

 

「眠らない街」という言葉ができたのは、いつ頃なんだろうか。

 

そう昔ではないはずだ。僕が子供の頃は、コンビニがここまで普及していたわけでもないし、夜も20時くらいには寝ていたと思う。当然ながら、電気というものが発明されるまで、ろうそくや焚き木で明かりを灯していた頃のさらにもっと前、太陽がのぼれば起きて、沈めば寝る、そういう生活をしていたはずだ。真っ暗で何も見えないのだから、そうせざるを得ない。

 

自然の摂理に従って生きていたのだ。それがいつしか時間というものをフル活用したいという欲求に駆られ、気づいたら自然を支配した気分になっている。

僕は、別にそれを批判したいわけではない。現代の文明を維持するために必要なことだ。石器時代に逆戻りしたいなら、やめればいい。しかし、一度味わった文明の味は、忘れることができない。

 

 

 

話がそれた。

 

この記事では、夜間、僕たちが眠っている間に、目覚め、仕事をしている人たちに焦点を当て、彼らがどのような思いを持ちながら、漆黒の世界で働いているのか、追いかけていく。

 

24時間しかない1日で、僕らが寝ている間にも働いている人がいる。そしてその人たちによって、僕らの毎日は支えられており、励まされており、享楽に溺れさせてもらっている。

朝を迎えるころには、綺麗さっぱり、何事もなかったような街が現れ、退屈な一日がはじまる。それは、夜間に労働していた人たちの営みのもとに生まれた朝なのだ。

 

先日、東京メトロが、地下鉄の24時間運転を検討しているという話を聞いた。これが実現すると、僕たちのライフスタイルは劇的に変化するだろう。そのときに、僕らは何を思うのか。彼らの取材を通して、その答えを見つけていきたい。

 

今回のお相手:
深夜トラック運転手・江口陽一さん

 

 

海沿いの街の整備工場にて

 

海岸の近くは、都心より一段と肌寒い。

 

ここ神奈川県にある辻堂は、江ノ島にもほど近く、夏が似合う街だと思う。冬に訪ねた僕は、少し戸惑っていた。といっても、僕は大阪出身で、このあたりに土地勘はなく、辻堂に来たのも初めてだった。駅周辺は大きなマンションが並び、大規模なスーパーが建つ。駅自体も大きい。いわゆるベッドタウンなのだろうか。何にしてもここ十数年で新しく開発された街なのだろうが、ぽつぽつと、古い建物も点在していて、昔の街並みもかろうじて想像することができる。

 

駅から線路沿いをひたすら歩き、20分ほどで、目的の建物に着いた。不審者のようにうろうろしていると、つなぎを着た男性が出てきて、「おう!」と声をかけてくれた。取材に来た旨を伝えると、「まあ、ジュースでも飲め!」と自動販売機でジュースをおごってくれる。とてもいい人だ。この人が深夜トラック運転手の江口陽一さんだった。

 

正直、トラックの運転手といえば、ぶっきらぼうで見知らぬ人間には冷たい人を想像していたので、気さくな兄貴然とした江口さんの振る舞いを見て、安堵した。

 

江口さんは自営業で、昼間に自動車整備の仕事をして、夜になるとトラック運転手をしている。

 

これから江口さんが語る話は、僕らの世代からすれば、一種の寓話に聞こえるかもしれない。高度経済成長を経て、日本の経済が頂点、いわゆるバブル状態になり、そして、今はゆっくり下り坂を降りていっている最中の日本で、江口さんの話は、まさに頂点のバブル時代の話だ。あの頃の日本の空気はいったいどういう感じだったのだろう。もはや想像することさえ困難だ。

 

僕はゆっくり目を瞑った後、大きく息を吐いた。時計は深夜0時を差している。江口さんの合図で、彼の乗るトラックの助手席のドアを開け、乗り込む。BGMは、ユーミンだ。『中央フリーウェイ』は荒井由実時代なので、かからないだろう。エンジンが鳴り、トラックは、高速を目指して出発した。

 

 

 

毎日が仮眠状態なんだ

 

「それこそ昔は、寝静まることがなかったよね」

 

江口さんは昭和39年生まれ。20代の頃にバブル絶頂のタイミングを迎えた。街は昼夜を問わず静まり返ることがなかった。今は寂しいもんだと答える。

 

「街がそんなんだから、寝るのがもったいないんだよ。朝まで遊んで、そのまま会社に行くっていうのが普通だった。僕なんかは都内で働いていて、家がこっちにあるじゃない。終電も早かったから、ほぼタクシーで帰っていた。距離が距離だから、銀座から帰ると、2万円くらいかかる。お前は重役かって言われていた。要は、そんなことやってカネを使ってても、生活が成り立っちゃうくらいおカネが入ってきたんだよね」

 

日本がまだゆるい時代だった。コンプライアンスなんて言葉はまだない時代の話だ。今、発展途上国を見て日本人はバカにするかもしれないが、日本だってそういう時代があったのだ。

 

「まあ、今ではありえないけどね。若い時から、夜に寝る習慣はなかった。だから、その流れなんじゃないの? 時代が変わって、街は夜に眠るようになったのかもしれないけど、自分の睡眠時間に関しては……何も変わってないってこと。若いときに経験した時代と歩調を合わせて慣れた生活のリズムってのはそう簡単に変わらないんだよ。あと、やっぱり一番は、時間が勿体ない。他の人の倍、何かを経験したければ、睡眠時間を削るしかない」

 

江口さんは中学生のときから大の車好きだった。車をいじっているといつの間にか朝を迎えているということはざらだったという。すでにその頃から、バイトもしていた。早くから何か打ち込めるものがあったということは、江口さんにとって幸運なことだった。

 

高校を卒業後、1年だけ専門学校に行き、自動車の整備を覚えて資格もとり、そして就職した。江口さんの人生はかなり特殊だ。最初に勤めたのは、商社だった。勤務地はなんとフランス。その後リビアにも駐在している。詳しく書けないのが残念だが、波乱万丈の人生なのだ。その後、独立し、深夜トラック運転手をするようになった。

 

江口さんは、ストイックな面を出しながらも、気さくに話し出し、だんだんと興が乗ってきた。

 

 

ドライブインで交流なんてできない

(左から2番目に映るのが、若かりし頃の江口さん)

 

「その場その場で関わった人たちと別に対立する気もないし、どちらかというと仲よく和気藹々と出来るんだけど、普段から、つるんで何かをやるとか、周りがこうだからこうしようとかっていうのは全くない。そもそも、争い事は嫌いなんで……まあ売られれば買うぐらいの(笑)。だから映画の「トラック野郎」的な、ドライブインの食堂で情報交換するようなつるみ方はまったくしないし、ないね。そんな感じの流れできたのかな」

 

BGMはずっとFEN※だった。辻堂は厚木に近いためFENを拾う。小さい頃から愛聴していた。村上春樹の小説のエピソードのような話だ。

※FEN
Far East Network(米軍極東放送網)の略称。1997年よりAFN(American Forces Network=米国軍放送網)に改称されているが、いずれも在日米軍向けラジオ放送局の名称である。

 

「英語が喋れるわけじゃないから、やっぱり、聞いていられないんだよね。何を言っているのかさっぱりわからないの。だけど、意味こそ分からないものの、非常に心地良い。カントリーが小さい時から、すごく肌に合っていたから。小学校の頃は、よく帰ってくるとラジオつけて、15時台のカントリーの番組を聴きながら、模型作ったり絵を描いたり。

 

夜更かしはその時代からだね。車の模型とか、戦車、要はハーフトラックとかジープとか、そういう戦争モノを買ってきては、アレンジしていた。模型は完成図の通りに作ったことがない。シャコタンだとかリフトアップするのは、もう当たり前な話。終いにはクラウンの模型の後ろをカットして、屋台とかお城とかの模型くっつけて、霊柩車を作ってみたり(笑)」

 

江口さんは根っからのクリエイタータイプだ。人は、見たこともないものや、自分の理解を超えたものには拒否反応を示す。江口さんの作った車の模型は、最初理解されなかった。車好きが集まるお披露目会的なイベントに持っていっても、浮いていた。

 

「なんでこんな車持ってくんの? みたいな。ここ何年かは、『やっとエグっちゃんの時代がきたよね』って言われるようになった。イベントに出てきなよって言われるんだけど、億劫であんまり行かない」

 

深夜トラックの運転手の仕事は、主に近距離・中距離。関東・甲信越の範囲だ。東京から千葉・埼玉・群馬・栃木に、ちょっと先まで行って福島。甲信越だと、山梨・長野・新潟。載せるものは、野菜が多い。野菜を産地に取りに行く。そしてそれを、加工工場に持っていく。

 

 

トラックと関わることが癒やし

 

「自分がトラック好き、というのはちょっと変わってて、トラックの運転が好きなんじゃないのよ。トラックそのものが大好きなの。トラックを運転してる俺が好き、なんじゃなくて、トラックそのものにずっと触れていたい。トラックと一緒にいれればいい(笑)。

 

だからもう、それこそ若い頃は、夜21時、22時に車庫に戻っても、毎日それから洗車をして。でかいから2時間とかかかるわけ。で、洗車が終わってうち帰って風呂入って、ちょっと軽く何か食べて仮眠をとって、もう3時4時には出発して、また車庫から出て行くような生活だったから。平均睡眠時間は3時間くらいかな。人間にとっては睡眠がなにしろ一番大事だというのは、この歳になってもう百も承知なんだけど。もうスタイルを変えられないんだよね。

 

何度も早寝しようと色んなトライはしたよ。それで、お客さんのとこに行くと、『江口さん、本当に仕事してんの?』って。なんで? って聞くと、『いつも車がピッカピカだよ』って言われて。とても仕事してるように見えないんだよ。それで『いや、毎日洗ってんだよ!』って(笑)」

 

夜中に走るトラックには、当たり前だが人間が乗っていて、その人には人生があり、物語がある。僕らが寝ている間に、人知れず、語られないドラマが生まれている。

 

「今、車の商売なんて全くと言っていいほど儲からない。なんでやってるの? って聞かれるぐらい、景気が悪い。だから車なんかもう10年、15年前から辞めたくて仕方なかった。でも俺もカッコつけで、大変なときに支えてくれたお客さんへの義理とかもあるし、自分が大変だ、もう辞めたいっていうだけで手を上げてしまうのは、とてもじゃないけど申し訳ないから続けている。

やっぱり、そこで気持ちのバランスが崩れてくる。そんななかで、トラックに関わることで、精神的なバランスを保っている。みんな、夜中にトラックの運転手なんかやって、凄い大変だと言うんだけど、自分はその時間で色んな精神的バランスを保ってるんだ。だから深夜にトラックに乗っている時間は完全な癒やしの時間なんだよ。眠気すら来ない。一番の醍醐味は朝日が昇ってくる瞬間。あの景色は夜中にトラック乗っている人しか見られない清々しい景色だね。俺が清々しいなんて言ったら、ちょっとイメージが違うけど(笑)」

 

 

トラックのなかに朝日が差し込む。僕はゆっくりとトラックのドアを開け、外に出る。空気が澄んでいて、おいしい。靄が掛かっていた街並みがゆっくりと姿を現す。なんだかわからないけど、得も言われぬ感動が押し寄せてくる。これから眠りにつくすべての深夜トラックの運転手たちに思いを馳せながら、僕は深呼吸を繰り返していた。

 

 

神田 桂一

執筆

フリーライター

神田 桂一

ライター・編集者。週刊誌記者、ネットニュース記者を経てフリー。あらゆる題材のノンフィクション、音楽や旅などのカルチャーを好んで取材する。現在単著を執筆中。


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