毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

強い女の子

 私は笑っちゃうほど強い。この前駅で女の人にぶつかりながら歩いているおじさんを見かけたので、走って追いかけていって腕を掴んで「ぶつかったんだからちゃんと謝ったほうがいいよ」って声を掛けるとおじさんは私の手を乱暴にはらって「うるせえよブス」って言うもんだから「おっさん誰に向かって言ってんだよ」って言い返したらおじさんはよく聞き取れないことをごちゃごちゃと呟きながら足をもつれさせ逃げるように去って行った。「まぁお姉さん強いのねぇ」と通りがかったおばあさんが褒めてくれたので気を良くして「そうなんです」と素直に返すとおばあさんは声を上げて笑い出す。それで私もつい一緒になって、声をあげて笑う。

 

 私がこんな風に強いのは決して傷つきやすいからでも、これまでたくさん傷ついてきたからでもない。たまたま強く生まれただけだ。たまたま走るのが早いあの子や、たまたま勉強のできたあの子みたいに、たまたまある種の暴力を、あまり怖いと感じない気質に生まれた。けれども、これまで私のことを好きだといった男の子たちはみなきまって私が強いことに、なにか特別な秘密があると思うようだった。私が脆くて繊細な何かを強さの内側に隠し持っていて、世界でたった一人、自分だけがその隠し場所を探し当てることができると、一様に確信しているかのように振る舞うのだ。

 

 私は私で、彼らの勝手な使命感をまんざらでもく受け止めた。膝を抱えて小さくなっている未だ見ぬ私がいるというのなら見つけ出してほしい。服を全部脱ぎ捨ててもまだ私を覆い隠す何かがあるというのならすべて剥ぎ取ってみてほしい。自分ならそれができると自信満々に振る舞う男の子たちの最終的な願いがその実、私を救うことではなく、自分がただ一人のヒーローになることにあるというのは当然わかっていたけれど、それでも別によかった。私はそんな彼らの願いこそ叶えてあげたいと思ったし、そのために軽々しく利用されたかったのだ。だからこそいつも言われるがまま、全面的に協力した。頼ってほしいと請われれば次々とわがままを言い、素直さが足りないと言われれば寂しいと泣いて見せた。そうすることで男の子たちは安堵し、満足そうにする……最初のうちは。

 

 少し時間が経つと、いつも同じことが起きた。私と彼らの役割が、いつの間にか入れ替わってしまうのだ。次々とわがままを言うのも、寂しいと泣くのも、きまっていつも男の子の方になった。求められるままに与えても、どうしたって満たされなくなるのは彼らの方で、最終的には、私に軽々しく利用されたと責め立て、傷ついて去っていくのだった。

 

 もう何人目だったか、数えられないくらい同じような別れを終えたある日の夜、私はコンビニで二番目に安い赤ワインを一本買って、女友達の家を訪れた。
彼女は同じ高校に通っていた同級生で、3年間同じクラスにいたはずだけど、当時はほとんど話さなかった。けれどもつい先月、家の近所で、思いがけず再会を果たした。偶然にも近くに住んでいたということが分かり、以来、定期的に連絡を取り合っては、お茶をしたり、食事をしたりするようになった。

 

 「男の子って全然怖くない。だけど難し過ぎるよ」
 照明を全部つけてもどこか仄暗い彼女の部屋で私が口を曲げて言うと、彼女はゆっくりと私の頭を撫でた。
 ソファ代わりのベッドと、木製の小さなローテーブルの隙間に、二人並んで座っている。持ってきたワインのコルクをぎこちなく抜いて、キッチンにグラスを取りに立ち上がろうとすると、それより早く彼女が、ワインボトルの口に唇をあて、ワインを直接、ごくごくと流し込んだ。

 

 「私には、男の子は全然難しくないな。いつもこの上なく単純で、だから、いつだって怖い」

 

 湿った白い肌に、やわらかなパーマのかかった背中までの黒い髪。彼女はいたって穏やかな口調でそう言うと、三日月みたいに目を細めた。

 

 「難しくないなんてすごいよ」

 

 私が彼女を見て言うと、彼女は私を見つめ返して言った。

 

 「怖くないなんてすごいよ」

 

 私は再び彼女の隣に座り直して、彼女がしたのと同じように、ワインボトルの口から直接、ごくごくとワインを飲んだ。

 

 一輪挿しにいけられたガーベラがテーブルの上に落とした影をぼんやりと眺めていると、ふいに無性にそうしたくなって、私は彼女に尋ねた。

 

 「ねえ、キスしてもいい?」

 

 彼女は返事をする変わりににっこりと笑って目を瞑った。そこで私は美しい彼女の頬をそっとなぞって、長い髪に指を絡めながら、ゆっくりとキスをした。柔らかな唇にふれた瞬間、彼女のことがたまらなく愛おしくなった。鼓動がどんどん速くなって、ずっとそのままでいたいのにうまく息ができない。苦しくなって一度唇を離すと、ふっと息を吐く。 それから、私を見ている彼女をぎゅっと抱きしめた。彼女も、私の背中に両手を回した。

 

 しばらくそのままでいると、彼女がふいに、私の耳元で囁いた。

 

 「強い女の子って最高」

 

 彼女とこんな風に触れ合うのは初めてなのに、不思議と、もうずっと前からよく知っている場所に、ようやく戻ってきたような、そんな気がしていた。

 

 

 

紫原明子

執筆

エッセイスト

紫原明子

1982年福岡県生。16歳と12歳の子を持つシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』(朝日出版社)『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。


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