毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

これはダンスではない

 ぐちゃぐちゃ考えて小難しい文章ばかり書いているから眠れなくなるんだ。彼女はそう断定した。わたしの書く文章はそんなに難しくない。考えごとをする時間だって少ない。仕事を終えて家に帰ってごはんを食べて口をあけて薄ぼんやりしているだけで夜中になる。困ったものである。もっとものを考えたほうがいい。

 

 わたしはそう思う。思うけれども、彼女に比べたらたしかに多少はものを考える人間だとも思う。彼女はおおむね「気持ちいい」「気持ちよくない」で人生の道筋を決めている。学生の時分には光る水着みたいなのを着て棒に登ったり降りたりしながら踊って男たちからチップをたくさんもらっていた。実に気持ちよさそうに踊っていた。昼は昼でけっこう優秀な学生で、口癖はもちろん「眠い」。自宅に帰る時間が惜しいという理由でよくわたしの部屋で眠っていた。今でもたまに泊まりに来る。寝そべって数秒で寝息をたてる。みごとなものである。

 

 今日は泊まらない、夜更かしするからつきあえ。そういうメッセージが入ったので、久しぶりに外で会うことにした。出かけていくと案の定、騒音を鳴らすタイプの店だった。彼女はやかましい音楽が鳴っている空間が好きなのだ。入り口でIDを出すと、なにやら紙を渡された。彼女は手慣れたようすでそこにボールペンを走らせた。のぞきこむと「ここでダンスをしません」と書かれた誓約書にサインをしているのだった。「ダンスをしません」?

 

 彼女はわたしの手を引く。わたしは目がよくない。近視に乱視、そのうえ暗い空間に慣れるのも遅い。だから彼女は薄暗い空間に入るとき必ずわたしの手を引く。フロアに出るとみんな踊っている。彼女のボーイフレンドがやってくる。彼女は彼を背もたれ代わりに使って休憩する。わたしは彼らにあいさつする。今日はこの女を家から引きずり出すために来たのよと彼女は言う。彼女はときどきわたしを指して「この女」と言う。わたしはたずねる。入り口で渡されたあの紙きれはなんだったの。

 

 彼らは笑う。あのね、夜にダンスをするのはいけないことだと思っている人たちがいて、みだりに人を踊らせてはいけないと、そういうような決まりごとがある、だから、ほらね、ごらん、誰も踊っていない。なるほど、とわたしは言う。つまり、あれはダンスではない。そう、と彼らは笑う。そうして言う。ぱっとポージングする。これもダンスではない。わたしは笑って彼らを見送る。

 

 踊りませんか、踊らなくては退屈でしょう。そのように言う誰かの顔を見ればとても昔ここで知り合ってさほど昔でもないといえるころまで一緒にいた男なのだった。ここでは踊らないのですよとわたしは答えた。入り口で踊らないという誓約書を書いたじゃあないですか。それを聞いて男は笑い、相変わらずいい子なんだ、と言った。変わらないねと言った。ほんとうに変わらない、ずっと同じ顔だ、僕の目がおかしくなっているのかな、きっとそうなんだろう。そう言った。あなたは相変わらず悪い子だとわたしは言った。いいつけを守らない、とても悪い子だ。彼はひどく笑って、もう誰も子どもなんかじゃない、と言った。僕らはすでに年寄りだ。そろそろ死ぬ。それではさようなら、さようなら、またいつか。僕は踊らない踊りを踊りに行くことにしますよ。

 

 音楽がかかっている施設などざらにある。人が立っている場所もたくさんある。人が動くのは当たり前のことだ。それがたまたま音楽に合うこともあるだろう。だから「わたしは踊っていません」と言えば、ダンスをしていないことになる。もちろんそれは虚構だ。でもわたしたちは実のところ、自分の行動の多くを定義していない。ダンスとは何か、どこまでがダンスでどこまでがダンスでないか、説明できる者はいない。真実のダンスを、わたしたちは知らない。だから虚構を活用することができる。これはダンスではない、という虚構を。

 

 音楽が切り替わる。音量が上がる。わたしをここに連れてきた女がひとりでやってくる。口をひらく。何かを言う。わたしは目だけでなく耳もあまりよくない。音楽のほかはもうなにも聞こえやしない。だから耳たぶに手をかざしてみせる。彼女はわたしの耳にくちびるを寄せる。声が聞こえる。入り口で書いたような、ああいう誓約書を、いつも書いたらいいのよ、眠れないときは、「わたしは起きていません」と書くの、そして目を閉じて深く息を吸って何も考えないで夢を見るの、ね、外から見たら、わからないでしょう、自分にだって、ほんとはわかってないでしょう、今が夢ではないと決めているから夢ではない、それだけでしょう、だから書けばいいの、「これは睡眠である」、「これはダンスではない」、「これは愛ではない」、そんなふうに。

 

 

 

槙野さやか

執筆

槙野さやか

2009年より、短編ブログ『傘をひらいて、空を』を開始。「伝聞と嘘とほんとうの話」を織り交ぜたエントリーを投稿している。1977年、東京生まれ。

Site: http://kasasora.hatenablog.com/


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