毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

可哀想なブラックホール

 最近、変なゲームにはまってしまった。ブラックホールで街をどんどん吸い込んでいくスマホのゲームだ。

 

 ゲーム開始直後のブラックホールは、人ひとり吸い込むのがやっとの小さなもの。けれども、ひとり、またひとりと道行く人を吸い込むうちに、だんだんブラックホールが大きくなっていく。街灯や、工事現場の鉄柵が吸い込めるようになって、次に車や船が吸い込めるようになる。もっとブラックホールが成長すれば、今度は家やビルだって吸い込める。そうやって、もともと街にあったものを全部きれいに吸い込んで、最終的には、街をなんにもない更地にしてしまう。

 

 ゲームの中の私はブラックホールだから、吸い込んでやろうという目で街を見る。すると、街がなんとも雑多に構成されていることに気付く。鬱陶しい虫みたいに動く人や車。針山に刺された針みたいに点々と立ち並ぶ電柱。大小不揃いなビル群。すべてただ無抵抗にそこにいて、どんどん威力を増すブラックホールの私に吸い込まれるのを、順番が来るのをじっと待っている。私はブラックホールを思いのままに動かして、圧倒的な力で、街を無にする。

 

 だけど残念ながらゲームの外にいる実際の私はブラックホールではなくて、むしろ無力な街のほうなのだった。ブラックホールは、別にいる。

 

 知り合ったのはいつ頃だっただろう。彼は、会ってすぐに私に好意をもっていると言い、私も彼に惹かれ、私と彼は恋人になった。彼はよく私に言った。
 「君は僕がいないと何もできないね」
 彼の前にいるときだけ私は、それまでどうしても逃れることのできなかった一切の責任を免除されたような、無責任な快楽に心を委ねることができた。

 

 けれどもいつ頃からか、そんな彼と会うたびに、どこか空虚な気持ちに襲われるようになった。はじめにはたしかに私の心の中にあって、私を満たしていたものが、彼に会い、彼に触れるたびに、ひとつ、またひとつと失われていくような。

 

 あるときついに気がついた。彼は、ブラックホールだったのだ。私の心の中にある、それなりに秩序ある街並みを、これはだめ、あれもだめと、好き勝手に吸い込んでいく。私のため。私は何もできないのだから仕方がない。そういって、不器用な私が何年もかけて形作ったお気に入りの庭園さえ、一瞬で吸い込んで、更地にしてしまう。

 

 彼が立ち去った後に残る、がらんどうの空き地を前に、私は呆然と立ち尽くす。これは良いことなのだろうか。分からない。けれど分からないままでいることには耐えられない。だから慌ててつぎはぎの道理を立てる。だめだと言うのだからだめだったのだろう。だから吸い込まれてしまったのだ。私が大事に作ってきたものは、思えばどれも、はじめから全部失敗作だったのだ。ああ、よかった、ありがとう。失敗をなかったことにしてくれて。私の代わりに、綺麗にしてくれて。

 

 彼のブラックホールは、どんどん大きく育っていって、あるとき、私の街にあったものは、とうとう一つ残らず吸い込まれてしまった。あとにはただ、まっさらな地面だけが残った。するとふいに、重さを失った街そのものが、紙切れのようにふわりと舞い上がり、そのまま一瞬にして全部、ブラックホールの中に、吸い込まれてしまった。あ、吸い込まれる、と思ったけど、もうそれでよかった。何もないんだから。

 

 ところが、そうして初めて目にしたブラックホールの中の景色に、私は思わず息を呑んだ。なぜならそこには、たしかに見覚えのある光景が広がっていたからだ。かつてブラックホールが私の街から吸い取っていったありとあらゆるものが、私の街で並んでいたのとおなじように並べられていたのだ。けれど、それでいて、決して完璧に同じになることはない。私から奪ったものは、汚れ、傷つき、ボロボロになっていた。配置される位置だって、どれも少しずつずれている。同じようで全く違う、私の街の、いびつな模造品。

 

 なんだ、そんなことだったのか。 
 私は落胆した。

 

 ブラックホールは、私になりたかったのだ。

 

 

 

紫原明子

執筆

エッセイスト

紫原明子

1982年福岡県生。16歳と12歳の子を持つシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』(朝日出版社)『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。


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