毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

深夜の窮地をブルーハーツで乗り越える

目が覚めたら池袋駅だった。

 

山手線の車内で、「お客さまッ!お客さまッ!」と連呼する駅員の声に驚き、寝ぼけまなこで訳も分からぬまま、 突然の敵襲から逃げ惑うようにして駅の外に出た。

 

「山手線車内に残っている、寝過ごした社会不適合者を終着駅の外に追い出す」という任務を無事遂行した駅員は、真顔でシャッターを下ろす。18歳の僕は、午前1時の池袋駅前で始発電車を待つこととなったのだった。所持金は300円。クレジットカードも持っていないから、タクシーもネットカフェも使えない。

 

今でこそ深夜の池袋駅で始発電車を待つなんてことはそこまで悲観する状況ではないかもしれないが、20年前の池袋駅は訳が違う。当時、池袋には血気盛んな若人がたくさんおり、そんな若人達の攻防をドラマ化した作品「池袋ウエストゲートパーク」の舞台にもなった。「池袋駅前で一人始発電車を待つ」なんてのは、死亡宣告そのものだったのである。

 

ひとまず僕は駅のシャッター前に座り込み、まわりをよく観察した。いまのところ、か弱い僕の喉元を狙う獣の姿は見当たらない。たまに遠くから怒号のような、妙な雄叫びは聞こえるが、すぐに害となるものではなさそうだ。そして駅前には同じように始発を待つひとがちらほらいた。僕はひとりの男性に声をかけてみた。

 

サカイ「あのう……僕も始発を待っているんですが、よかったらおしゃべりしませんか?」

お兄さん「いいっすよ、どうせ暇だし」

 

25歳の彼もまた、山手線で寝過ごし池袋駅で朝を待つ運命の人間だった。僕と違うのは、手持ちの現金もカードもあるけれど、余計な出費は悔しいから始発を待っているという点だった。この人は池袋の恐ろしさを知らないのだろうか。彼は有名なプロサッカーチームで医療スタッフとして働いているという。そのため、骨折や切り傷擦り傷なんかは応急手当てができるらしい。

 

お兄さん「もし君がやんちゃな人たちに絡まれてボコボコになっても、僕が応急処置してあげるよ」

サカイ「でもお兄さんもボコボコになったら治せないじゃないですか」

お兄さん「たしかに。だからなるべく君がボコボコになってよ」

 

無茶苦茶だ、と思ったが、たしかに応急処置してもらえるのは安心できる。僕は彼の横に座り、互いの恋愛話で盛り上がった。彼は同い年の婚約者がいるにも関わらず、15歳年上の既婚女性とも関係を持っていた。「モテモテですごいっすね」と僕が言うと「俺だって苦しいよ」とお兄さんは言った。すると、そこにギターケースをぶら下げた青年が近づいてきた。

 

ギター青年「お兄さんたち、暇なら僕の歌聴いてくださいよー」

 

こちらが了承する前に青年はすでにギターケースからアコギを取り出し、あぐらをかきながらチューニングをはじめた。

 

いや、マズイぞ。こんな静まり返った深夜の池袋駅前でギターを弾いて歌なんか歌ったら、街中のやんちゃ達が目を覚ますに違いない。

 

サカイ「ごめん、夜中だし、歌は……」

 

そう青年に言うと、問題ないっす、と彼は親指を立てた。勘弁してくれ。こんなやつと心中なんて勘弁だ。しかし二股中のお兄さんも「いいね〜、19(ジューク)みたいだね」なんて適当なことを言っている。うっす、と青年が頭を下げる。勘弁してくれ。

 

そして青年が自慢のギターをかき鳴らし始めてからすぐのことだ。僕の予想通り、アコギの音につられて赤いジャージを着たやんちゃな若人2人がこちらにやってきた。終わるのだ。豊島区で僕の人生は終わるのだ。

 

やんちゃ「なに、おまえらバンドマンなの?」

 

いや、その、彼はそうですが……などと口ごもると、続けてやんちゃな方は僕を指差して言った。

 

やんちゃ「おまえ、歌えよ」

 

昔から、大なり小なり僕はこういうことに巻き込まれやすい。友人が窓ガラスを割った際も一緒にいた僕が最初にゲンコツを食らったし、テスト中友人に頼まれ消しゴムを貸しただけで教師からカンニングの疑いをかけられたこともある。

 

サカイ「あの、ブルーハーツはいかがですか」

 

やんちゃな二人組にお伺いを立てて「いいから歌え」と蹴りと許可をいただく。なぜ僕は深夜2時の池袋駅前でやんちゃな方々へ生歌を披露することになったんだろう。

 

僕はできるだけ大きな声でブルーハーツの「情熱の薔薇」を歌った。ギターの青年が僕の横に座りメロディを弾く。ちょっと癖のあるそのメロディはむしろ邪魔だった。僕の歌は決して上手ではないが、声量にはそこそこ自信がある。そしてこの手の方々は、歌唱力よりも声量を重視するものだ。

 

本気で歌う僕を見たやんちゃな二人組の片割れが、「こいつ超いいよ」と笑っていた。その反応に気を良くした僕は、甲本ヒロトのように大げさに舌を出して歌った。そのたびに彼らはゲラゲラと笑う。でもこのまま調子に乗って飛び蹴りをしたら、ちゃんと殺されるんだろうな、と冷静に思った。

 

3曲歌ったあと、二人組は「がんばれよ」と言って去っていった。僕は「はいッ!がんばります!」と大きな声で答えた。一緒にいた二股中のお兄さんが「なんか、なんか感動しちゃったよ」と涙目で拍手している。ギターの青年は「さーて次はなに弾きますかァ?」とニヤリと笑う。こいつらとだったら、なんでもできる気がした。吊り橋効果とは恐ろしいものである。

 

20年経った今でも池袋駅に降り立つと、その熱く理不尽な夜を思い出す。あのときあのまま彼らとバンドなど組まないで本当に良かった。今ならわかるが、あの夜の登場人物は全員クソ人間である。

 

みなさんも寝過ごしには十分気をつけてほしい。そして万が一の際には、ブルーハーツが有効だ。

 

 

サカイエヒタ

執筆

株式会社ヒャクマンボルト代表

サカイエヒタ

ライター、編集、漫画原作など。著書に「かぞくとわたし」(KADOKAWA)。奥さんと娘2人と猫2匹と一緒に暮らしている。

Site: http://1000000v.jp/


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