毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

深夜の告白

 

伝えられなかった思いはどこへ消えてしまうのだろう?

きっとそれはなくならず、いつも胸のうちに隠れているのだ。

そしてあるとき、ふと姿を見せる。それはたいてい、どうにもならなくなってから……。

 

「あのとき、勇気を出して気持ちを打ち明けていれば……」

 

夜のバーカウンターに座りながら、彼女は静かに語り始めた。

 

 

高校生のころの私は、特に目立つことのない生徒でした。

テストの成績は平均点のちょっと上。部活は帰宅部で、放課後はどこにも立ち寄らず、まっすぐ家に帰っていました。

クラスの活発な子は髪を染めたり、スカートを短くしたりしていたけど、私はそれを羨ましいと思ってもできなくて。

 

16歳にもなると、誰と誰が付き合っているとか、他校の男子と合コンしたとかいう声が聞こえてくるものです。

 

そう、聞こえてくるだけ。

 

クラスのイケてるグループがそういう話をしているのを、私は横で耳にするだけ。

自分自身には浮いた話はまったくなく、そもそも男子と話したことも数えるほどしかありません。

 

けれども、そんな私でも憧れの先輩がいました。

 

タモリ先輩です。

 

イケメンで、女子に大人気で、いつも囲まれていました。

私は学校では空気のような存在。タモリ先輩になんて、認識されているはずがない。そう思い込んでいました。

ところがある日、タモリ先輩が私を見るなり言ったのです。

 

「髪、切った?」

 

驚きました。たしかに私は前日に美容室に行って、髪の長さを変えたのでした。しかし、そんなこと誰も気づかないと思っていたのです。ましてや、あのタモリ先輩に──?

ウソだ。そんなことあるはずない。でも、現実にあのタモリ先輩が私の目を見つめていたのでした。

私の胸はドキドキが止まりませんでした。頭が真っ白になり、何も返事ができません。どうしよう。そう考えていると信じられない光景が目に飛び込んできました。

 

タモリ先輩が私に壁ドンをしたのです。

 

そして、耳元に口を近づけてもう一度言いました。

 

「髪、切った?」

 

タモリ先輩の吐息が、耳にあたります。タモリ先輩の呼吸が耳をくすぐったくて、自分の体温が上がっていくのがわかります。とても目を見ることなんてできません。私は目を伏せて、渇いた喉の奥から声を絞り出しました。

 

「すいません、先輩、こんなことされると、私、どうしたらいいのか……」

 

すると、タモリ先輩はささやくように言いました。

 

「……笑って、いいとも」

 

その言葉に足の力が入りなくなり、壁ぎわをずるずると、尻もちをつくように座り込んでしまいました。

そのとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴りました。ハッと意識を取り戻した私は、「すみません!」と叫び、タモリ先輩の足元をすり抜けて、教室へと走り出しました。

 

私の背中に向かって、タモリ先輩が言いました。

 

「明日も来てくれるかな?」

 

その言葉を背中越しに聞きながら、けれども何も返事することができず、私は教室の扉を開けて飛び込みました。

 

その後、タモリ先輩と私が話すことはありませんでした。タモリ先輩がほかの女子と楽しそうに話しているのを見ると、胸が痛くなりました。「お友達を紹介してくれないかな」と言っているのも聞きました。

 

あのとき、どうしてタモリ先輩は私に声をかけたんだろう。ううん。きっと理由なんてないんだ。どうせからかっただけだろうと自分に言い聞かせました。でも。もしもあのとき、「いいとも!」って言っていたら──。

 

私の人生はもっとウキウキウォッチングだったことでしょう。

 

 

彼女はそういうと、「そろそろ」と言って会計を済まし、「空耳アワー」のジャンパーを羽織って店を出ていった。

 

名前も素性も不確かな関係じゃないと、言えないことがある。

夜の世界はそういったエピソードが、泡のように現れては消えていく。

「あのとき、ああしていたら」。時間は取り戻せないのに、無数の可能性に思いを馳せてしまう。そう考えている間にも、時間は絶え間なく流れていく。

 

タモリ先輩。

 

暗い雲から濡れでた雨が強く地面を打った。いつかそれも聞こえなくなってしまうのだろう。

 

 

 

菊池 良

執筆

ライター

菊池 良

1987年生まれ。2017年に出した書籍『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著・神田桂一)が累計15万部。そのほかの著書に『世界一即戦力な男』がある。


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