毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

寝たフリさいごの日

 

 娘たちは後部座席のチャイルドシートに守られながら、すやすやと眠っている。僕はバックミラー越しにその姿を確認し、自分が子どもの頃によくやった「寝たフリ」を思い出していた。

 

 これまでの人生、僕はさまざまな種類の寝たフリをしてきた。都合の悪い話が始まったとき、面倒なヤツを見つけたとき、もはや寝たフリでしか乗り越えられないとき。強烈なビンタを食らっても、僕はそのままいびきをかき続けた。

 

 しかし子どもの頃、父が運転する車の中だけは、少し違った理由で寝たフリをしていたのだった。

 

 

 休日、家族で出かけた先からの帰り道の車内。遊び疲れた小さな妹は車の振動に合わせ、暗い後部座席でぐっすり眠っている。その隣で僕は、同じく頭を垂らし目を瞑っていたものの、たいていは寝たフリをしていた。

 

 夜の路を走る車は時折街の光を浴びて、車内が一瞬だけ明るく照らされる。街灯の下を通過するたびに、まぶたの裏が瞬間赤く透き通った。

 

 車は走り慣れた帰路をゆく。路面の振動やカーブの遠心力、信号待ちの沈黙の長さから、いま自分がどの辺りを走っているのか目を瞑りながら予想する。「あ、いま橋の上を通過したな」「この大きなカーブは、きっとあのコンビニの角だろう」。正解か否かを確認するために薄目で窓の外をそっと覗き、案の定目印の看板を確認すると、また目を閉じて寝たフリを続けた。

 

 父が運転する車はやがて停まり、そこから慎重に後退をはじめる。タイヤが金属の踏み板を越えると、そこは我が家の駐車場である。父が長い運転を終え、フーッと息を吐きながら、エンジンを切る。振動やエンジンの息遣いが消え、車内に嘘のような静けさが訪れた。後部座席の僕はまだ寝たフリをやめない。隣で寝息を立てている妹はどうだろうか。

 

「あれ、二人とも寝てるわ」

 

 助手席の母が後部座席で眠る僕らを見てそう言う。僕はドキドキしながらそのままの姿勢で大げさな寝息を立てていた。

 

 父が、やれやれ、と後部座席のドアを静かに開け、僕の身体を抱き抱える。僕は少しだけ身体をこわばらせるが、父に抱かれたあとはだらりと右手を落とした。至近距離でまじまじと顔を見られるのではないかと、目を瞑りながら緊張する。

 

 父に抱かれながら、ゆるんだ僕の身体は二階の寝室へと向かう。父は階段をギシギシと、一歩一歩上がる。うっすら、父の首元からタバコの匂いがする。

 

 布団に寝かせられ、靴下をシュッシュッと脱がされた。僕はわざとらしく「ううん」などと唸り寝返る。そして母に抱かれた妹が、僕の隣に合流した。

 

 両親が少しの時間僕らを眺めているのが、目を瞑りながらもわかる。やがて二人の視線が僕らから外れ、寝室から出て行ったところで僕の寝たフリは終わる。正確には、そのまま本格的な眠りに移行するのだが。

 

 この寝たフリは永らく続いたが、ついに、抱えられず「ほら、家着いたよ」と起こされる日がやってきた。その日を境に、今日に至るまで父に抱かれることはなくなってしまった。最後に運んでもらったのはいつだったろうか。あれだけ得意だった車内の寝たフリも、もうやる意味はなくなってしまったのだった。

 

 

 後部座席で眠る汗ばんだ娘たちを、僕は順番に家の前の駐車場から自宅へ抱えて運ぶ。娘の髪の匂いがふわりと香り、身体がまた少し重くなったことを知る。

 

 僕が寝室を出たあと、彼女たちは寝たフリをやめ、ニヤリと笑っているのかもしれない。しかし、その寝たフリはたとえ下手くそだったとしても、生涯一度としてバレることはないということを、親になった僕はよく知っている。

 

 娘たちの寝たフリに、僕はあと何年付き合えるのだろうか。

 

 


※体験談は個人の感想であり、特定の効能・効果を保証したり、あるいは否定したりするものではありません。
編集部内で信頼できると判断した情報、並びに医師や専門家への取材を元に信頼性のある情報提供を心がけておりますが、自己の個人的・個別的・具体的な医療上の問題の解決を必要とする場合には、自ら速やかに、医師等の適切な専門家へ相談するか適切な医療機関を受診してください。(詳細は利用規約第3条をご確認ください)

眠りのQ&A