毎週日曜夜10時に公開されるナイト・エッセイです。あしたから職場へ向かう皆さんに、おやすみ前にぴったりな読み物をお届けします。

片恋通話

 眠れない夜の通話は楽しい。
 誰もいない暗い宇宙で、二人きり、手を繋いでいるみたいだ。
 たとえひとときの勘違いでも、「特別な関係」という媚薬を垂らされた帳の中、二人の関係を世界で一番素敵なもののように輝かせてくれる。

 深夜1時。SNSを開く。
 1時11分まで起きていたら、連絡しようと思っていた。
 相手の名前の横には、オンラインを示す緑色の小さな丸が浮かんでいる。
 まだ仕事をしているのだろうか。誰かとチャットでもしているのだろうか。それともオンラインになっているだけで、本当は誰かが横にいるのかも。
 不安が胸の中で膨らむ。それを打ち消すように、消えるなよ、消えるなよ、と念を送る。

 1:11

 まだ緑の玉は浮かんだままだ。
 意を決してメッセージを送る。

 「起きてる?」

 すぐに出現する“開封済み”、そのまま、“入力中”を示す3点リーダーが続く。
 「起きてる」
 迷惑じゃないだろうか。本当は寝たいんじゃないだろうか。ネガティブな迷いがわぁとうずまく。ええいままよ、と震える指で通話ボタンを押す。

 「どうしました」

 相手はすぐに出た。
 「もしもし」でも「こんばんは」でもなく、彼の第一声はいつだって「どうしました」だ。

「いや、特に用はないんだけどさ」

 緊張で、みぞおちが硬くなる。

「なんとなく、誰かと話したくて」

 誰かと、なんて言わなきゃよかった。

 ほんの束の間、永遠とも取れる沈黙ののち、

「あぁるあるぅ! そう言う時ぃ!!」

 相手のバカでかい声が、スピーカーから響き渡る。
 はぁ、と思わず息が漏れ、全身の力が抜ける。
 寝転んだベッドのマットレスに体が沈み込んでゆく。

「今日は何してたの」
「別に、何も。仕事っす」

 そのまま、だらだらとたわいもない話をする。

 最初は角張っていた相手の声が、だんだんまるく、柔らかくなってゆく。

 何千回と送り合うメッセージより、一回の夜中の通話の方が親密さを得るにははるかに強力だ。副作用として、不眠はどんどん進むけど。
 時折キーボードを叩く音、ぎし、と椅子の軋む音、ビールグラスをテーブルに置く、ごと、と言う重い音。
 スピーカーから飛び出た相手の生活音が、耳から吸い込まれ、頭の中に想像のワン・ルームを作る。

 「あ、2時22分だ……」

 ふいに、目に映るままを口にした。

 「ほんとだ」
 「なんかさあ、時計をふと見た時に、ゾロ目だと嬉しくない?」
 「俺、ゾロ目ばっかり見るんすよ。特殊能力かも」
 「あはは」
 「なんか、俺が中学の時に、演劇部の公演で『真夜中のふふふふ』って題の劇を見させられて。22時22分に時計を見ると異世界に飛ばされちゃうみたいな内容だったんすけど、それ見てから、なんかゾロ目ばっかりやたら見るようになったんすよね」
 「よほど印象的な劇だったんだね」
 「いや、劇自体はクソつまんなくて途中で寝ちゃったんですけどね」

 会社の上司の愚痴、自分の密かな特技の話、最近見たアニメについて。
 なんでもない、取るに足らない話を、途切れさせないように、細い蜘蛛の糸をたぐるように、注意しながらつないでゆく。
 眠気の中に響く電話越しの声は、春の浅瀬の波みたいだ。

 「あ、3時33分」
 「ほんとだ。すごい」
 「こんなに話してたんだ」

 “こんなに”の部分はできるだけフラットなアクセントで。
終わりの合図と受け取られないよう、細心の注意を払いながら。

 「明日、何にもないんですか」
 「午前中は、ない。そっちは?」

 そろそろ寝ます、と言われないだろうか。

 「ない。あ、そういえば午後には久々にF社と打ち合わせがあってさぁ……」

 同じくらいにフラットな声色が続くのを耳で受け取って、また、さらに体が緩んだ。
 たわいもない話が、川の流れのように細くなったり太くなったりしながら続いてゆく。果てはどこまで行くのか、追いかけたい気持ちが生まれる。

 あっという間に時計は4時を回った。

 「あ、4時だ」
 「本当だ。切りますか」

 明け方のテンションで、思い切って言ってみる。

 「どうせなら、4時44分まで見たい!」

 電話口で相手の爆笑する声が聞こえた。

 「いいですよ」

 4時44分。重たい黒の壁みたいだったカーテンが、だんだん淡青いひだを含み出す。

 「もう朝だね。あけぼのだね」
 「ようよう白くなりゆく山際」
 「夏は? 夜だっけ」
 「夜です」
 「秋はつとめて?」
 「それは冬ですよ。秋は夕暮れ。鳥が寝床に飛ぶんです」
 「つとめて、ってなんだっけ」
 「朝のことです。でも、冬は昼にかけて悪くなって行くんですよ。『昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、いと』」
 「ワロス!」
 「違うから。わろし、だから」

 明け方のテンションは人の偏差値を限りなく下げて行く。こうなったら最後、自分たちだけにしか通じない笑いの応酬である。
 結局5時を回って、さすがに5時55分まで待つのはやりすぎだろう、とその日は”解散”した。
 布団を引き上げ、すっぽり顔まで潜りこむ。スマホに当てていたのとは反対の耳が冷たい。
 相手のオンラインサインが消えたのを見届けてから、3時間半ぶんの会話を反芻しているうち、徐々にまぶたが落ち始め、眠りの中に落ちてゆく。

 

 その後、彼とは血で血を洗う憎しみ合いの果てに互いをブロックして終わり、もう会うこともなくなった。けれどもこの時交わした会話だけは唯一、良いものとして今もまだ覚えている。

 真夜中の記憶は綺麗だ。

 白日の元に晒された現実は、もしかしたらきたなくて、凸凹していて、苦いものかもしれない。けれども夜はそれを優しく包み込み、つるんとなめらかに上書きしてくれる。

 1:11だろうが2:22だろうが、少しも気を使わずに電話をかけられる相手がいるのも楽しい。けどそれとは別に、暗闇の中、固くスマホを握りしめ、勇気を出して通話ボタンを押したあの時の鼓動の大きさは、眠れない夜を過ごしていた未熟な自分を少しだけ、よいもののように思わせてくれる。

 

 

小野美由紀

執筆

作家

小野美由紀

1985年東京生まれ。著書に、銭湯を舞台にした青春群像小説『メゾン刻の湯』(2018年2月)「人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み食べ歩く800kmの旅」(2015)「傷口から人生」(2015)絵本「ひかりのりゅう」(2014)など。月に1回、創作文章ワークショップ「身体を使って書くクリエイティブ・ライティング講座」を開催している。


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