「小鳥ピヨピヨ」の清田いちるが眠気を引き出す方法をプロデュース

「ココログ」や「Zenback」などのWebサービスを次々と企画し、ヒットへ導いた敏腕Webプロデューサー・清田いちるさん。人気ブログ「小鳥ピヨピヨ」の管理人、「ギズモード・ジャパン」初代編集長などを務め、現在はシックス・アパート株式会社の シニア・ディレクターとして様々なサービスをプロデュースしています。新入社員のころから多忙で、寝る間を惜しんで仕事や趣味に没頭してきたそうですが、実は長らく不眠に悩まされてきたそう。そんないちるさんがプライベートと仕事の両立を成功させた秘訣とは…?

 

 

20〜30代のときは超ワーカホリック! 夜はパソコンとダンスで寝る暇なし

20〜30代のときは超ワーカホリック! 夜はパソコンとダンスで寝る暇なし

──いちるさんは1994年にニフティに入社されていますが、当時はインターネットがまだまだ普及していなかったIT黎明期。そんな時代に、なぜIT業界に入ろうと思ったのでしょうか?
 
「元々マスコミ志望で、業界の一社という認識でニフティに入社したので、当時はIT業界に入ったという認識はありませんでした。ただ、学生時代に『ニューロマンサー』(※1)と『カッコウはコンピューターに卵を生む』(※2)という本を読んでコンピューターやネットワーク社会に刺激を受けていましたし、中学生のころには8ビットパソコン最大のベストセラーシリーズとも言われる「PC-88シリーズ」のパソコン向けゲームにどっぷりはまっていました。なので、パソコンやITに苦手意識や抵抗感はありませんでしたね」(いちるさん)

※1ウィリアム・ギブスン著のサイバーパンク小説。1984年刊
※2クリフォード・ストール著のノンフィクション小説。初めてハッカー犯罪をテーマにした小説としても知られる。1989年刊

 
──日本にブログというサービスを浸透させた「ココログ」など、ニフティではインターネット・サービスの先駆けとなるさまざまなプロジェクトを手がけられています。急成長を遂げる業界で最先端を走るクリエイターということで、当時は多忙を極めていたはずです。
 
「『ココログ』を手がけていたときはブルドーザーのように突っ走っていた記憶がありますね。Webサービス以外だと、当時の仕事で最も思い入れがあるのは『ドーナッツ!』というWeb絵本の仕事です。当時はまだほとんど知られていなかったイラストレーターの100%Orangeさんを発掘し、ネット上で絵本を連載し、書籍化しました。累計10万部くらい売れたんですよ。そのほかにも思い出深い仕事はたくさんあります。2000年の個人動画配信、2001年のソーシャルゲーム、2002年のbotサービスとか。でも、失敗というか大成功には至らなかったので会心の仕事とは言えません(笑)。いま思うと『出すには早すぎた』という類のサービスだったのかもしれませんね」(いちるさん)
 
──それほど多くのプロジェクトを次々と進めるにあたって、残業も多かったんじゃないですか?
 
「会社での仕事は大体22時に終わって、23時30分くらいには帰宅していたかな。ただ、そこからまた自宅でパソコン三昧(笑)。当時、NTTのテレホーダイというサービス(※3)があって、深夜からはパソコン通信『Tiger Mountain』で好きなだけクリエイターたちと交流できたんです。だからそのころの睡眠時間は4.5〜6.5時間ぐらい。しかも、若いころはダンサーの仕事もしていて、クラブに行って真夜中のショータイムで踊ることもありました。そんなときは始発に乗って朝5時に帰宅、1~2時間寝てから9時半には出社するというスケジュールが定番。我ながら、かなり無茶してましたね(笑)」(いちるさん)

※3 NTTが提供していた、夜23時から翌日8時までの時間帯はインターネット通信料が定額(月額)で使いたい放題というサービス

 

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ダンスを披露してくださったいちるさん。現在もダンスの活動を続けています

 
──まさに「睡眠時間を削ってやりたいことをする」という生活ですね。
 
「睡眠時間を削っている意識はなかったけど、結果的にそうなったという感じですね。僕は仕事も趣味だし、趣味も仕事という公私混同型。社会人1年目から、趣味にできる部分が見つからない仕事は、そもそもやらないというスタンスだったんです」(いちるさん)
 
──その後、ニフティからシックス・アパートに転職して、「ギズモード・ジャパン」の立ち上げに携わり、編集長として活躍されたとのことですが、ニフティ時代と比べて働き方は変わりましたか?
 
「ニフティは何だかんだいっても管理システムがしっかりしていて、ある種、窮屈に感じられる働き方だったので、自分にあまり合わない部分もありました。それが転職後は19時まではニフティの仕事をして、19時以降は「ギズモード・ジャパン」の立ち上げ並びに編集長として、自分が好きなことを好きなだけできるようになって、自分のリズムに合わせて仕事できるようになったんです」(いちるさん)
 
──とはいえ、ニフティでの仕事とギズモードの仕事の二足のわらじで行うのは大変だったと思います。最も多忙だったときはどのような状況だったのでしょうか?
 
「PHSを3つ同時に使って仕事相手と会話することがありました。頭の中で『どうやって一言でこの3つの相手に返事するか』みたいなことを考えるのは楽しかったですが(笑)、実際はかなり大変でした。最終的に3つの電話をヘアバンドで頭に巻いて、空いた両手でメールの返事を打つっていう荒技で、なんとか乗り切ったほどですから」(いちるさん)
 
まさに超がつくほどのワーカホリック! そんな20〜30代を過ごしたいちるさんですが、あることをきっかけに働き方が変わったといいます。

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